台湾レポート2003
橋本努
20030506
PHOTO in Taiwan 2003
2003年4月23日から5月2日までの10日間、台湾を訪問した。今回の滞在は、私にとってのはじめての集中講義、しかも海外での英語の講義ということで、かなり冒険的な体験をしたように思う。以下に、台湾滞在の報告を、簡単に記しておきたい。
私が招聘されたのは、台中市の郊外にある朝陽科技大学(Chaoyan University of Technology)の管理学部、その中の財務金融系という学科である。九年前に建てられたこの大学は、専門の私立大学としてはナンバーワンの地位にあり、中でも管理学部は、学生数全体の過半数を占める最大の学部であった。
4月23日(水曜日)、朝早く北海道を発ち、成田経由で台北へと移動する。台北空港では、二人の大学院生と大学専属のタクシー運転手に迎えられ、彼らと共に台中の朝陽科技大学へと向かった。午後四時半、朝陽科技大学の構内にあるホテル(管理学部の最上階)へ到着。その夜は、私を招聘してくれた陳映君さんとその友人たちに夕食をご馳走になる。
4月24日(木曜日)、午前中はゆっくりと休み、昼食を挟みながら学科主任の許光華(Hsu Kuang-Hua)さんと打ち合わせをする。そしてその夜は、今回の滞在で最も大きなイベントとなる講演、「日本経済の変容」を行なった。許光華先生が前もって宣伝していたこともあって、250人を収容する最新の講義室には300人以上の学生が詰め掛けていた。会場の熱気に圧倒されながらも、私は許先生に紹介されて壇上に立った。まず中国語で簡単な自己紹介をすると、それだけで大きな拍手をもらい、余計に緊張してしまった。
講義はパワーポイントを用いながら英語で行なった。そして私の英語を許光華先生が中国語に通訳するというかたちで進行した。彼のすぐれた通訳とエンターテイメント性によって、会場は大いに盛り上がった。最初の講義が成功したとすれば、それは彼の通訳のおかげであっただろう。講義内容は、戦後日本経済の変容をさまざまなデータを示しながら解説するというもので、現在の日本経済が不況の中にあること、中国と日本の新たな関係、少子化や女性の社会進出などの今後の予測、などについて説明した。一時間の講義に加えて40分の質疑応答を交わしたが、学生の質問はとても意欲的で、知的好奇心の熱気をこれほど感じたことは、いまだかつてない。日本の学生であれば、まずこうした講演会にあまり出席しようとは思わないであろうし、また出席したとしても、講演でのディスカッションに目を輝かせるということはめったにないであろう。ところがここ台湾では、なぜだか異様な熱気があった。学生との交流を通じて、とても貴重な経験を得たように思う。
翌日4月25日(金曜日)、私は台北にある別の大学で同じ講義を行なった。陳映君さんと電車で台中から台北へと向かい、さらに台北から地下鉄で20分、淡水という港町にある淡江大学の財務金融系に到着。そこで主任の聶建中(Nieh Chien-Chung)さんと昼食を共にして、それからこの大学で講義を行なった。この日は通訳なしで、少数の大学院生(六人程度)を対象にしていた。この日の私はとてもリラックスして、英語もうまく喋ることができたような気がする。講義後、聶建中さんは大学構内を案内してくれた。淡江大学は最大規模の私立大学で、学生数2万3千人、キャンパスには学生たちがごった返していたことが印象的である。その日の夕方は淡江の町を観光し、夜は陳映君さんと張慶諭さん(とその子供たち)と夕食をして、台北のホテルに宿泊する。
4月26日(土曜日)、張慶諭さんと林淑貞さんの案内で台北観光。故宮博物館等を訪れた。昼食は台湾風、夕食はベジタリアン風の洒落たレストランに連れていってもらった。昨日とこの日は、とてもおいしい料理に感激する。夜9:40、台北発のバスで台中に戻る。
4月27日(日曜日)の午前中はゆっくりと休息し、午後は陳映君さんと日月潭という観光名所の湖を訪れる。四年前の地震の後に建てられた新しいホテルは、中国の伝統を近代建築に取り入れたエレガントな建物であり、台湾の新しい上流階級の理念を表現していた。
4月28日(月曜日)、朝陽科技大学における第二の講義を行なう。午前10時から11時半まで、大学院生向けに、通訳なしで講義する。学部生も出席していたために、聴講者は100名程度。内容は、台湾と日本の経済比較について簡単に紹介するというもので、パワーポイントを用いながら、GDPや人口や出生率などのデータを比較した。また、自己紹介ということで、北海道大学の紹介や私の研究の紹介をパワーポイントで試みた。質疑応答では、英語の上手な大学院生に鋭い質問を受けた。中国語での質問には通訳を介して、日本語や英語で答えたが、概して大学院生たちのレベルが高いことに驚かされた。
この日の午後は、陳建宏(Chen Chien-Hung)先生の案内で、台中市から車で約30分のところにある鹿港(Lukang)という古都を訪れる。陳先生は神戸大学の農学部で博士号を取得した方で、また台湾の古い建築物にも詳しく、この日は彼からとても多くを学んだ。鹿港の街は歴史の面影に溢れていて、さまざまな寺院をめぐった。街中の書店にも立ち寄って、台湾製の文房具をいくつか購入する。鹿港は蛎(カキ)で有名だということで、夕食は蛎料理を楽しんだ。別の古い書店では「鹿港龍山寺」という書物を出版した陳仕賢さんと出会う。この本を記念に購入する。
4月29日(火曜日)、朝陽科技大学で講義を行なう。講義といっても簡単なもので、あらかじめ用意した「テロ事件の写真集」「ニューヨーク生活の写真集」「自己紹介のための写真集」などを、パワーポイントを用いて紹介しながら、学生たちとのコミュニケーションを楽しんだ。午前中に一つ、午後に二つで、合計三つの講義を行なう。本当に、学生たちと楽しく過ごした。夜は、東京大学農学部で博士号を取得した洪振義(Hong Cheng-Yih)先生と共に、温泉に行く。台湾では最近、ケーブル・テレビで日本の番組が放送されるようになり、その影響で日本式の温泉がブームになっている。台湾の新しい日本式の露天風呂には、南国独特の野草がとても高貴な香りを放っており、実に優雅な空間であった。温泉の後は、今度は中国式の古風な喫茶店で寛いで、夜遅くまで会話を楽しむ。
4月30日(水曜日)、午前10時に学長と20分程度会話を交わして記念写真を撮影する。今回の滞在について学長に報告するために、事前に許光華先生と打ち合わせをしておいた。10時40分からお昼までは、大学院生たちと大学構内の施設で卓球をする。久しぶりの卓球に、かなり興じてしまった。昼食は学科の同僚たちと共にする。午後は、洪振義先生の案内で、水里という観光地にある陶芸文化園を訪れる。約100年前に日本人の陶芸家が来訪することに発したこの窯は、三代目社長の林國隆さんによって大きく発展したようである。林さんの案内で、詳しく見学することができた。夜は台中市に戻って上海料理を楽しみ、そしてナイト・マーケットを散策する。
5月1日(木曜日)。午前中に図書館見学をする。参考になったことが三つある。一つは、図書館の玄関ロビーではさまざまな展示や音楽会が企画されていること。また、学生たちの展示のなかからすぐれた絵画を、栞(しおり)にして配るというアイディアも面白い。さらに、図書館では学内インターネットの環境が充実しており、講義で用いるビデオ教材を、学生たちがいつでもオン・デマンド方式で見ることができるようになっていた。
午後は陳建宏先生の案内で、卒業生の結婚式の披露宴に出席したり、英国式喫茶店で寛いだり、おみやげ探しなどをして過ごす。夜は陳先生がよく利用するという屋台で食事をする。20NT(70円)のラーメンがおいしいことにびっくりする。この日の夜は最後ということで、大学に戻ってからは洪先生の研究室で、同僚たちとコーヒーを飲みながら夜遅くまで過ごした。
5月2日(金曜日)、朝4時半に起きて大学のホテルを出発、副主任の戴錦周(Dai Jin-Jou)先生が空港まで運転して見送ってくれる。戴先生の家族は台北で暮らしているということで、この日は彼の帰宅のついでに送ってくれたのであった。午前9時に台北空港を発ち、成田から乗り継いで北海道の自宅へ午後7時半に帰宅する。SARSという肺炎病が流行していたので、帰国の際はちょっとした緊張感があったが、成田空港ではマスクをしているスタッフがほとんどいなかったので安心する。無事に帰国する。
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台湾では現在、高校生の90%が大学に進学するというという過剰な学歴社会が訪れている。さらに大学生の約半数は、公務員試験や各種専門試験や大学院受験などの専門学校に通っている。いわばダブル・スクール化が普及しており、大学生たちはかなり忙しい生活を送っているようである。大学の授業料はローンで返済できるが、専門学校の授業料は直接支払わなければならないということで、学費の負担は深刻である。学生たちは、よい就職先を見つけることができればよいのだが、サービス産業に就職できるのは就業人口全体の64%であるから、それ以外は大学卒業後に工場労働者になるということであろう。今後、若者の失業率が上昇すれば、大学生たちの不安はますます増大するに違いない。実際、学生たちの多くは、そうした不安から、専門学校に通っているという。
経済の先行きに対する不透明感とは対照的に、学歴に対するニーズは過剰になっている。大学院進学に対するニーズも高く、例えば朝陽科技大学の管理学部では、200人の学生が受験して、わずか20人程度しか合格しない。日本では大学院のニーズが少なく、受験者はほとんど合格できるようになっているのだが、いったいなぜこれほどの差があるのか。
また台湾の大学では、最近の制度変革によって、博士号を取得しなければ副教授になれないということになったようだ。さらに、副教授から助教授、教授へと昇進するためには、文部省の審査を受けなければならず、各大学に地位の任命権が与えられていないというのも興味深い。研究者の質と地位が中央で管理されているのである。
中央管理という点では、昨年からコンビニなどのお店で、環境への配慮から、買った商品を入れるためのビニール袋がすべて有料になったという(3.4円)。これによって買い物ではビニール袋がほとんど用いられなくなり、石油資源を節約することに資している。こうした中央当局の環境政策は、賞賛されてしかるべきであろう。
台湾の平均賃金は日本のそれよりも2-3割少ないが、しかし生活費がそれ以上に安いことから、全体としてみれば日本よりも豊かな生活が可能になっている。ただし貧富の差が大きいので、平均した判断は避けなければならない。大学生に聞いてみると、コンビニで働く際の時給は280円程度。しかし昼食は150円程度でまかなえるのだから、それほど低いわけではない。これが日本では、コンビニの時給と昼食代がともに650円程度ということで、学生たちは稼ぐ割には多く出費しなければならない。豊かさを考える場合、単純に一人当たりの国民総生産を比較しても意味がないだろう。台湾は一般にイメージされるよりも、はるかに豊かな国である、というのが私の印象であった。
日本との経済関係で言えば、台湾は、日本から機械などを多く輸入して、それを用いて生産した物を、今度はアメリカに売る、という経済の構造をもっている。台湾にとって日本は最大の輸入国(27%)である。私たちはこうした経済関係をよく理解して、台湾との友好関係をさらに深めていくことが必要であろう。北海道の約三分の一の面積に約2000万人が暮らす台湾。人々の生活意識は日本人の生活意識に極めて近い。地理的にも文化的にも、日本に最も近い国なのである。